鎌倉時代
そして東夷のかためと自任する津軽の豪族安東氏が、北条氏の代官として十三湊を拠点に蝦夷を管領していた。
安東氏は前九年の役で滅んだ安倍貞任の子孫と伝えられる。
安東氏の勢力はしだいに渡島半島にも及んでいった。
『吾妻鏡』の1216(建保4)年・1235(文暦2)年には、夜盗・強盗・山賊・海賊の類を夷島に流罪にした記事がみえる。
また、日蓮の高弟日持が箱館にきて、数年後大陸に渡ったという伝説もある。
鎌倉末・南北朝内乱の頃から、奥州の戦争で敗れて蝦夷地に亡命土着した人の数はかなりに上ったと思われる。
14世紀中葉の「諏訪大明神絵詞」に、蝦夷地に渡党・日の本・唐子の3グループがいると書かれ、日の本は北海道 ANA タベタイリクアイヌ、唐子は樺太アイヌ、渡党は本州から渡ったものと解する人がいる。
津軽安東氏は戦国時代おおいに勢力をのばしたが、やがて南部氏に侵され、一時、蝦夷地に逃亡、次いで秋田の同族安東氏に迎えられ、近世には秋田氏を名乗る。